chisaki talk
with Seiko Obara and Noriko Chisaki

対話 金工家 小原聖子さん × chisaki デザイナー 苣木紀子
写真 苣木紀子
構成 森 祐子

chisakiデザイナー苣木紀子が、ものづくりに関わる愛すべき方々と対話する「chisaki talk」第2弾。今回は、金工家の小原聖子さんです。chisakiの帽子についていることの多い真鍮製のチャームは、最後に小原さんが刷毛で一つ一つペイントを施して仕上げています。
リボンの先や帽子のどこかに留め付けられた小さなチャーム。なくても帽子としての機能は成り立つけれど、帽子を身に着けるときに心を弾ませるのはきっと、こうしたディテールの積み重ねなのでは、とchisakiは考え、大事にしています。小原さんの住まい兼アトリエを、chisakiデザイナーの苣木紀子と訪ねました。

1. 潜水と即興

―――小原さんの自邸兼アトリエは、神奈川県茅ヶ崎市の各駅停車の駅から少し歩いたところにあります。のんびりとしたムードの住宅街に現れる、愛らしい一軒家。外に置かれた植物や作品の一部から感じる住み手の遊び心。ドアをあければ、あちらこちらに置かれた様々なアーティストによるものたちが、さらに自由なムードを振りまいて、楽しげに出迎えてくれます。小原さんはこの家に、彫刻家である夫と、昨年生まれたばかりの赤ちゃんと共に暮らしています。


苣木は、4年ほど前、繋がりをたどって小原さんの作品と出会い、すぐに惚れ込んだそうです。


  • Earrings

ち)国立新美術館のSOUVENIR FROM TOKYOで初めて作品を見たときに、すごく自分の好きなテイストだなと思って一目惚れしました。金属の作品で、こういうものをそれまで見たことがなくて。一つひとつ手あとが見えるところとか、多分、金属を叩いて曲げて、その曲げ方も、すごく好きな感覚だと感じて。


お)(苣木が最初に購入した小原さんの作品を触りながら)わあーだいぶ年季入ってますね、これ。


ち)素敵な作家さんだなあ、と。共通の知人から、聖ちゃん(小原さん)のものづくりの姿勢などを聞くうちに、やはり好きだと思いました。帽子につけるものを作っていただけないかな、と思い切ってコンタクトを取ったのかな。それで、この自宅兼アトリエを訪ねたのが4年くらい前。確か、自分の帽子を持ってきたのだったと思う。そうしたらすぐに、こういうのがいいんじゃない?と手持ちのパーツを合わせてくれて。


お)そうそう、実際に見ればすぐ始められるから、スムーズでしたよね。


―――今、chisakiの帽子に使われているチャームは、小さなレースの一部のようなかたち。同じ型を使っているけれど、最後に樹脂の塗料を刷毛で塗っていくので、一つひとつ、表情が全て異なります。


お)レースの周りとか、真ん中にも何かあったのを取ってしまったのだったかな。古い布やレースから型を起こすことは時々するのだけど、そのまま使うということはほとんどないんです。


ち)この、ちびっこい感じがなんとも言えない愛おしさ。


お)後から漆系の樹脂の塗料を塗っています。


ち)一つひとつ全部違うから、愛着がね……。


お)chisakiの帽子は、初めて見た瞬間からツボでした。自分は割と服装がカジュアルでこざっぱりしているから、帽子は少し華やかな印象もあったけど、chisakiはマニッシュな感じもあるし、とにかく造形的にグッとくる。造形で遊んでいる感じがすごく伝わってきます。即興で遊んでいる。それを、毎シーズン、あの数を、帽子で表現するって大変だろうと思います。いろんなバリエーションで出てくるのがすごい。


ち)決めて作るというより、作っていく延長でいつの間にかできているものもあります。造形を作っていく中で、目指す形に向かうのだけど、途中でちょっと逸れていって、こっちも素敵だな……と思って両方作ることにしたり(笑)。


お)私も割と脱線して、あれ……気づいたらこっちに来ていた、みたいに脱線のほうにたどり着くことは多いですね。


ち)そこは誰にもジャッジされないし、自分で決めていいことだし、自分で決めなきゃいけないことでもある。


お)そうか、自分で決めなきゃいけない……そうですね、よく考えたらそうかも。終わりぎわのタイミングとかね。その終わりぎわも、苣木さんの帽子の、好きなところです。


  • hat

お)この間買わせていただいた帽子もそう。とにかくまず造形が素敵で惹かれました。普通はカットするところを残している、と聞いて、帽子を作る人からしたら、ここで終わるって結構すごいことなのだろうなと思って。


ち)普通なら切ってステッチをかけるところまできれいに仕上げて終わりなのだけど、ここがあることで動きも出るし、想像も広がるし。


お)ね、伸びやかな感じがしますよね。私も最近は、やり過ぎないように気をつけています。そのほうが、受け取ってくれる人がすっと入り込めるのかなあ、と思って。無意識のうちにどうしてもやり過ぎてしまう。綺麗にしてしまう。それはそれでいいのだけど、やりすぎると野暮ったくなっちゃう。いいなあ、伸びやかだなあ、ということのためには多分、やり過ぎないほうがいいのだろうと思うんです。そこをあまり考えすぎてもよくないのだろうけれど。


繋げてみたり切ってみたり。
「なんかいい」から派生していくのが、金属の面白いところ。
金属工芸ではなくて、金属工作かな。

ち)つくる時は、先にデザイン画とか描かないのよね?


お)全然、描かない。パーツは、例えばアンティークの布の玉みたいな部分を原型にしたりして、既成の真鍮の”玉”とかとはまたちょっと違うものを作って、それを組み合わせて、とか。


ち)布の玉で型をとって、真鍮の玉を作るってことだよね。布の玉を「好き」と思って一つひとつ集めておいて、それを金属で作ろう、と思う発想が私はすごく好きです。


お)「最終的にこうしたいから」ではなくて、「この玉、なんかいい」というところから始まります。じゃあこれ繋げたらどうかと繋げる。それで違ったらまた切ったりできるのが、金属のいいところです。この玉自体をまた別の作品にも使っていける。「派生」していく感じですね。枝分かれしていく感じ。その先に何かあるか、とかまではあまり考えてない。


ち)それは私もそうかもしれない。


お)パーツの組み合わせ次第で無限にかたちを作っていける。それが、金属の面白いところ。私のつくるものは「金属工芸」というよりは、「金属工作」かも。工芸、というのは、少し気恥ずかしい。おこがましい感じがして。金工家とは名乗っているけど、工作に近い感覚です。


―――切ったり叩いたり曲げたり繋げたり、ときには偶発的に、かたちを変えていく小原さんの金工。chisakiの帽子にも、手仕事による即興性が感じられるものは多い。例えばくしゃっと手で形を作るスタイル。完成形を保つのでなく、かぶる人に合わせて形を崩しながらかぶるやり方。夏のハードな植物繊維の帽子を、手の甲を当ててしごきながらギュッギュッと変化させ、自分の頭に載せて確認しながら形をまとめていくさま。どの仕事も、側で見ると即興的でスピード感にあふれています。


お)ある意味、スポーツのような感じかもしれないですね。瞬発力と持続力と。


ち)あと、キャッチする力とね。


お)私は、日常的には瞬発力が全然ないタイプだけど、スポーツ的な感覚は制作では結構必要なことなのかも。ただ、「ヒラメキ」的なことは、ずっとではないですよ。アイデアが降ってきてファーッとなっている時のスピード感はすごいけど、その後は……。


ち)……結構地味にね。


お)スピード感が全然違う。水の中に潜っている感じです。水圧のようなものを受けている。むしろ制作中はほとんど潜っていると言ってもいいぐらいです。幼い頃に水泳をやっていたので、苦しい練習や、潜っている感覚とか、すごく制作中の状況とつながる。そう思うと、子供の頃から、やっていることはあまり変わらないのかな。苦しさの後の気持ちよさや爽快感。(苣木さんが好きな)山登りでもそうかな?


 

ち)そうね、そこにたどり着かないと感じられないものはあるかもしれないね。山も、もの作りも。


2. 目の前の小さな選択
どう生きたいか、どうありたいかは
意識していない

―――小原さんのお宅にいると、家の中全体が創作に満ち満ちていて、そして同時に暮らしを愛していることが伝わってきます。器の重なりや台所のあり方、家族との距離。制作が第一でもなく、暮らしが第一でもなく、どれも等しく、生きることに繋がっているよう。「どんなに良い展示のお話が来ても、今の状況で余裕がないと思ったらお引き受けしない」「どんなに制作が切羽詰まっても、ごはんの時間だけは譲らない」と小原さんは気負いなくきっぱり(そしてさっぱり)言います。アーティストとして、人間として、目指す先はどこにあるのでしょうか。


お)普段から、どう暮らしたい、とか、どう生きたいか、とはあまり考えていないです。そもそも、「こうありたい」という意識がない。日々、目の前の好きなことをやっている……日々の選択の中で、そうしたいと思うことをして、今があるのかな、という感じです。割と、目の前のことしか、考えられないから。


ち)私もそうかもしれない。日々の選択の結果、それでしかないかな。


―――会社を経営していても、具体的な目標は必要ないですか。


お)私もそう思いました!私は一人だからそうしていられるけど、会社でもそうできるのかしら?


ち)会社ってそんなに違うかな…?(笑) 帽子を作って、買っていただいて、結果的に得た対価でご飯を食べさせてもらっているから、「その帽子がどうか」ということが一番重要。どうなりたいか、という目標より、こういう帽子をお客様が被ってくださったら嬉しい、という、本当にその一歩ずつでしかない。それは、デザインだけでなくて、技術的なところも含めて。このワイヤーの太さだったら被ったときにここが歪むなとか、かぶってくれる人の手元でどうかということ。そのためにも、新しい帽子を作ったら、2年ぐらい寝かせて、自分で使い、友人にかぶってもらって様子を見る。だいたい2回ぐらいシーズンを通過すれば、使い心地がわかるから。


お)きっと本来はそうあるべきですもんね、会社って。


ち)売り上げも何もかも、結果は後からついてくるから、まずはいいものを作ろう。嘘がない、もやっとする要素をできるだけ減らして作りたい。それが、日々一番大事にしていることです。


お)それを聞いていて思ったんだけど、私が唯一何か(「こうありたい」と求めるものが)あるとしたら、多分、「続けていくこと」。続けていくために、日々を過ごしています。違和感のあることをしていたら、続けていけなくなっちゃうから、続けていくために、自分が、こうと思うことを実行していく……それしかないのだと思います。


ち)お客様が気に入ってくださるから、自分の作りたいものを抑えて、ここはこれくらいのバランスで、というようなことはやりたくない。ベースは、自分がいいと思う美しいもの。


お)そうじゃないと、その先を続けていけないですよね。「あれ?こんなに違うところに来ちゃった」みたいなことに、多分なってしまうと思う。そうなったら困るから、そうならないように、自分に正直に。


ち)そういうのって、自分を俯瞰してないと気づけない気がする。私は自分の中に何人かいて、その人たちに聞いてみるの。実際には、これまでに出会った信頼する人たちならどう考えるか、と想像してみることに近いとは思うのだけど。そうして「いろんな自分」からの意見をもらって、結果、「うん、でも私は今はこれがいいと思うから、これで行くね!」とそのまま進んだりもする。


お)素晴らしい。


ち)癖なんだと思う。ちっちゃい時から、何か一つの物事に対して、そうしているかもしれない。


お)ちっちゃい時からってすごくないですか? 何かきっかけがあったからそうなったんじゃなくて?


ち)孤独だったから(笑)。ずっと一人だったから。


お)私もね、一人っ子で、一人遊びが得意。一人の対話みたいなのはよくする。(苣木さんが言っていた)「俯瞰」みたいなことはあんまり考えたことがなかったけど、一人で淡々とあれこれ考えるのには慣れていますね。


目指すこと、向かう先

お)目標は特に持っていないけれど、何かに向かっているイメージではあるんです。私にとってそれは、わかりやすくいうと「ワクワクするほうへ」、とかそういうこと。日々、小さなことで満足を積み重ねているかもしれません。草むしりでも十分満足できる。今日は仕事が全然進まなかったけど、この前から洗おうと思ってたクッションのカバーを洗えてすっきり!みたいな。「まいっか!」となる。


ち)何を目指して作っているか……。作る時に自分もワクワク、一気にテンションがぐっと上がる瞬間があります。例えば、本当は濡らしてはいけない帽体を濡らして形を変えたりして、普段人がしないことにチャレンジしていい形ができた時、「あ、ここはきっとみんなが見てる景色とは違う」「みんな見たことがないものを見せられるんだ」というワクワク感。そういう気持ちを共有したい、ということが、目指すところです。帽子は、実用的に「日を避ける道具」としてだけではなくて、自分の感覚を誰かと共有してそこから関係ができたりする、コミュニケーションツールの一つだと思います。できたものがより形が良くて、受け取った人も渡す人も単純に気持ちがいいものがいいと思っています。


お)私の作ったものは、どう受け取られてもいい。そこを意識しています。コンセプトやインスピレーションを聞いてくださる方もいるのだけれど、私はあまりうまく答えられなくて申し訳ないぐらい。私が何を思って作ったか、という説明なんかより、ただ好きなように感じていただけたら、と思っています。

――想像の余地があるもの、伸びやかに、心地よくあれるもの。ついつい、社会の中で、ここではないどこかを求めてしまいそうになることもたくさんありますが、二人の対話からは、やわらかく今を生きるヒントがたくさんあるように感じました。